私のタイプ

ネットの向こうに恋しそうになる。回線の向こうに画面の向こうに。検索していてふっと迷い込んだブログ。ページ上部の紹介文を見ればその書き手は OL で、なるほどふつうの OL の言葉遣い(どんなだ)なのだが、記事によっては哲学のわりとマニアックな議論をしていたり、小説の感想を書いたりしている。そのときだけ、だ・である調になる。そうして僕は彼女のことを好きになった、まだ顔も見たことのない彼女を。
この数分の出来事は、しかし、リアルで女性と(いかなる意味ででも)出会い、顔を見ることでその人を認知する、その人に関する情報を得たと信ずること、と段階としては変わらないと思う。つまり、表面的ないくつかの情報から人に好意を持つことは、顔の具合で人を好んだり遠ざけたりすることと、表層的具合において等しい。つまりなんていうかそれは、人をカテゴリーに入れて判断する所作である。仕分け作業である。
ブログは人の思考を示す。ふだん何考えてるかわからない人の、考えている内容が読める。それはその人の深い部分に触れることである……ありうるかもしれない。希望を持って言えば。ただ、与えられた情報をどこまでも表層的に受け取ることも可能で、自分の持ってる図式に当てはめて処理して「好き」の感情を機械的に出力してしまうこともまた、たやすい。ぼくは哲学(思想じゃないよ)*1ができる女性が好きだし、哲学に対するまともな取り扱いとともに、いかにもな女性らしさが見えるとそれは特別に好ましく思う。いわゆるギャップってやつだろう。そしてこの図式を埋めるのはかんたんで、哲学の専門的な議論ができている (Yes/No) 、典型的な女性的ふるまいを見せる (Yes/No) 、この二点が自分の中で満たされていると判断されれば好意はもう成立しちゃうわけだ。電池の直列つなぎのような単純さ。パチンとスイッチが入るだけ。
特にオチとか教訓はない。なんか近頃考えるしつこさがないかも。「これでいいの?」と問い続けることをしないし、問われても「べつにいいよ」と平然と答えちゃうな。

*1:なお、哲学は数学・論理学・物理学などでも代替可