にっき

就活、まるでやる気ないというか結局俺は院に行くことになるんだろうとかぼんやり思っていて、ところが公務員から図書館司書になろうという未来予想図も並立していてまあ要するに俺の人生ぶれまくり、いやむしろともかくも道を決めればものごと回りはじめるんだろうがそれをしないからこのなんとなく晴れない気分が続くのだろうしとかまあ考えていくとつい「要は、勇気がないんでしょ?」という方向に続けてしまいそうにもなる、倫理性、文章の流れに DRIVE される的な、
と思っていたら帰ってきてメールチェックしたらある企業の一次選考が通っていて、いや誰でも通るようなそれだったのだがなんか改めて「通っちまったなあ」という気がして要はめんどくさいです。つぎは面接とかっっ。べつに働くのがたまらなく嫌というわけではないし勤め人に向いてはいないだろうけど社会のかたすみでひっそりと食っていくことはできるかなあという気はするのだがでもやっぱり積極的に行きたいわけではないというか就職したら俺の青春終わりみたいなものの見方は当方むしろ嫌いなんでありますがまあとにかく就職するということを考えたとき俺はべつにわくわくしないので、特別惹かれるものがないので、いやもうそれはなんちゅうかたとえばCCレモンの缶のデザインがそんなにかっこよくないので飲む気にならん、みたいなレベルでの話で、ほんと俺目の前のことしか見えていない、目の前のことしか見えていない人生を貫く一本の棒の如きものが欠けている俺の人生は、
でまあ俺ほんとさっさと決めたら? 就活離脱したら? そう思われると思うんですがちょっと懸念なのは今よりもうちょい前向きな気分で大学院進学を視野に入れていた時分は、半年ぐらい前なんすけど、そんときは逆に「俺に研究者は無理だな」と思っていて、向いてないとは思わないんだけど競争に勝てないだろうと。そういうの見てると要はいつでも俺は自分の進んでる方向に不安材料を見出そう、もっと言えばその選択肢をいかに却下するかということに意識が集中してる気がする。そういう魂の導かれ方をしてる気がする。女性は男性と付き合いそうになったときにその男性と“付き合わない”理由をなんとか探そうとするんだとかものの本で読んだんですけど、それと同種なのかもしれない。現状維持。まあ学生をずっと続けていけたら楽ではあろー。
ところでそれでエントリーシートなるものをまあ書くことになったんですがこれが項目が私の長所みたいのはまあいいとして「 10 年後の自分はどうなってますか(どうなっていたいですか)」みたいのが困る。想像できないですね。まあきっと典型的な問いだと思うから答え方はあるんだろうけど。むしろ 50 年後ぐらいのほうが想像しやすいというか答えは用意してますね。――ということをツイッターに書こうと思ったのだが(面白いとおもうので)、でもなんかこういうのって面白いだけで本質的ではないよねえと思いなおしてやめた。質問の趣旨とは関係ないもんなあ。数字をいじっただけでぜんぜん違う質問になること。