どれ、日記でも

人の目を見る。明瞭にことばを発する。ということ。人の目を見て話すということ。話さなくてもいい。人の目を見ることで、場に参加する。
視界のかたすみで状況をチェックする。耳から情報が入る。頭の中で処理する。ラジオを聴くように。
話すときは明瞭に。明確に。明示的に失敗しないとひとは学ばない。
焼酎水割りとバニラアイス。
ここ数日、「居るだけ」のかたちで場に所在することが増えている。新歓の反動。そう謂わば言える。でも、こんなのが平常運転でいいかどうか。不満だ。
べつに無理して話そうとは思わない。だが、場に参加することは、その場に所在しているなら、すべきだろう。それがあるべき姿であり、行儀であり、ようは一番ぴったりくる「型」なのだと思う。
視線の戯れは、全くの他人相手の方がうまくできたりする。外を歩いてる時。電車に運ばれてる時。
明確に発声することは、他者の訴えかけに対してフィードバックを返すことでもあるし、というか「うん」でもなんでもいいから、いや、把握が追い付いていないがそれも目線を合わせることと同種だろ。
場に出た情報は、場の中で処理する。自分の頭の中ではなく。