メタ意識が離れない

2007年に更新が止まった或るテキストサイトを訪れた。「今なら素直に文章が書ける」と書いてあった。ともすれば「素」を隠して、エンターテインメントに徹しようとする傾向のあるテキストサイトにあって、この発言は重い。(とはいえ、該当の日記は、あの文化も廃れてゆき、たしか 1, 2 年くらい更新が空いてから、突然にアップされたものだった――つまり、エンターテイナーの立場をすでに降りたうえでの発言と思われるが)。しかし同時にこうも思った。「おもしろくありたい」という意識をむき出しにして(というのは、面白い文章を書くことそれ自体が作為的なことで、特別な意識なしにはできないからだ)書かれていた、あの時代のテキストの方が、もしかしたら現在ブログに上げられている日記よりも「素直」だったんじゃないか、と。テキストサイトを通過した私たちは、つねに自らの表現に対して客観的だ。自分が書いたものが読み手にどう評価されるかを見通してしまいながら、同時に「ありのまま」を示そうとする、私たちはそんな板挟みにあるようにも見える。

**

本を四冊買った。うち 2 冊は既読。すべて哲学がらみ、異なる出版社。帰りのカバンが重かった。買っただけでリンク載っけちゃうのは嫌い(感想見ようと思って開いたときがっかりする)なので、読み終わったら載せることを前もって断っておく。