言語哲学大全I 論理と言語, 飯田隆, 1987

言語哲学大全1 論理と言語
再読。一度目は2010年の5-6月ごろ。入門書なのに、読むの二度目なのによーくわかった気はしない。この本に書いてあることを「あたりまえじゃん」と思いながら読める日はまだ遠そう。とはいえ、概観くらいはつかめた。以下、その内容をメモしておく*1
本書は全4巻からなる言語哲学の入門書の初巻である。全部で3章あり、そこでは現代論理学、フレーゲの意味論、ラッセルの意味論が論じられる。歴史的には、フレーゲ『概念記法』 (Begriffsschrift) の 1879 年からラッセル「表示について」 (On Denoting) の 1905 年くらいまでか。
なぜ「論理と言語」なのか。著者が「論理」という語自身について詳しく書いていないこともありいまいちすっきりわかっていないのだが、言語を考えるにあたってその論理的構造をぬきにしては考察を進められない、というのが大きなメッセージだと思う。書中でも繰り返されているように、文とは語の一次元的な並びではなく、立体的な構造をもつ。「誰もが誰かを愛している」「誰かを誰もが愛している」というふたつの命題は、単に主語と目的語の位置が入れ替わっただけではない。「誰か」とか「誰も」という存在者があるわけではなく、こうした語は文の中で何らかの機能を持っている、と考えるべきなのである。フレーゲの文脈原理*2はこうした洞察に基づいているし、ラッセルも記述の理論を通じて同様の洞察に至った*3
それから、なぜフレーゲラッセルなのかについて。両者が体系的な意味論の典型的なモデルを提供しているということだろう。「語の意味はその指示対象である」という発想は自然なものだと思われるし、ふたりもそこから出発した。ただそれだけだと問題が生じる( a=a と a=b はどう違うのか説明できないとか、指示対象をもたない名前をどう扱うかとか)。そこでフレーゲは途中で「意義 Sinn 」という別の領域を考えた*4が、ラッセルはあくまで指示対象一本で通そうとした。このようにふたりの理論は好対照をなしているといえる。

*1:但し、かなり粗いまとめなのでご注意を。結局、こうした問題について満足に論じるには本書のような厚さが必要なのだ、ということなのだろう

*2:語は文の中でのみ意味が与えられる、という

*3:all ~~ とか the ~~ といった句は直接に何かを指すのではない、という

*4:また、文の意味は真理値だとか、色んなアイデアが出てくる