ため息に透かして見てもただの今日
俳句を作ってみた。いや厳密な意味で俳句と呼べるのかは知らん。季語も考慮してないし入門書のひとつも読んだことがない(これから読むつもり)。まあ一発目だしこんなものだろうとは思う。あんまし解題っぽいことしてもなんなので(俳句した意味がないので)、この句じたいへの言及は控える。基本的に、整理されてない、いちばん散らかったタイプの散文ばかり書いて暮らしてる人間なので、ここまで凝縮された、というか制限のきつい表現を試みるのは刺激だった。
ひとつよかったのは、自分がふだんいかに定型化された表現、酷使されすり減った語彙しか使っていないかに気づかされたことだ。たとえば女の子が無神経な音を立てて鼻をすするさまを、僕はかわいいと思った。しかし、そのまま「かわいい」と表現するのではだめなのだ。女の子の鼻をすするさま、かわいい、では、単なる共感を求めるあるあるネタでしかない。共感は表現の求めるところの一面ではあるが、僕は話のつなぎを探しているのではないし、読まれた相手と仲良くなることを第一目的としているわけでもない。あの場面から自分は、「かわいい」というよりもっと詳細な、狭い、なにかを感じ取ったはずで、そこまで共有されうるように句を練らなければ、やはり面白くない。
いっこ習作を作ったていどで何百字もなんか知った風な顔して連ねてしまうのはなんというか俺の悪い癖だ。一を聞いて十を知ったかのようにふるまうのは、まあなんか一面では多少勘はいいということになるのかもわからないけど、なんといっても見てて愉快でないだろうとは思う。……とは言ったけどべつに俺は俳句の真髄みたなものを語ってるつもりにはないし、恐れてるほど出過ぎたマネに映ってるかどうか。……まあわかんないけど。たぶん文体が悪い。傲慢な文体だ。