日記

11 時起床。布団のなかで 2, 3 ツイートする。ツイッターやめるって思ったのに。ツイッターやめると健康になれますよ。しばらくはツイッターやめ気味にふるまうつもりです。もぞもぞ起きてもぞもぞする。生協がきてお届けものを受け取る。そろそろ(おれが)笑顔で応対できる段階に来ていると思われるので、がんばる。荷物を冷蔵庫にしまって、ふたたび昼までもぞもぞする。そのあとごはん。インスタントのカレーうどんがあったので、作る。創意工夫の心を発揮し、タマネギ・ベーコン・ケチャップ・チーズによってイタリア風カレーうどんにしてみた。なにそれ。まあふつうに食えました自分の作ったものだし。ただ俺が創意工夫する時はだいたいイタリア風になってしまうのでその怠惰を責めたい。怠惰を責めるとかやめようよ。まあ料理の知識がないゆえの愚行でございます。
NHK のどうにもゆるい雰囲気のワイドショーを見ながら食べ、食べ終わったら洗い物。言い忘れていたが、――まあいいや。この調子だと 2,000 字じゃきかなくなってくる。食っていきなり外出て歩くと体の内側が拒否信号を出すので、ギター弾いたりする。興が乗ってきたのでスマートホンで録音とかしてみる。一曲だに通して満足に弾けてないことが判明。あと詩とか小説の朗読など。いちばんよかったのは、ギターと monotron を駆使してジャムセッション未満の未満くらいのを録音して遊んだのが楽しかった。子供の楽しみ。
家を使う用があるので 2 時ごろ外出。電車の中で福田『私の国語教室』(「国」と「教」は旧字)を読まうとしたが、眠い。座ってるからいけないのだが眠い、ふつう夜にするところを朝からもぞもぞしたからいけないのか、この本の記述が存外に退屈だからいけないのか、充分睡眠はとったはずだが、寝る時刻に問題があるのか、それとも 10 時間くらい寝なきゃいけないわたしは実はロングスリーパーなのか。まあでも睡眠 5 時間くらいのときも目に見えて調子が悪いということはないので、明らかな LS というわけではあるまい。授業は聞けないけど。
特別あてもないので学校に来て、でも図書館は試験期間ゆえに混んでて行く気がしないので、部室 A に足を運んだ。ロシア語の練習などやる。ギリシア語もやってみたが単語が引けないのでぜんぜん進まない、ゆえに落ち着かない。人のいるところで行きどまってるのがなんとなくきまり悪いので、やめてしまう。そのあとはコーヒーのみながら目に入る書類プリント類に目をさらしてみたりして、まあレヴィナスはいずれ読もうとか思った。
人はいたが話に入ることはしなくて、それは通例自分の興味ある話ではないためであり 90% くらいはその分類に入るのだが、残りの 10% がきたときにうまくしゃべりだすことができなくてどうしたもんかな、と帰りなど思い返すことがある。流れの自然さのへ信奉、というのはひとつあって、すると「自然さ」がいかなるものかについての理解をちっと revise する必要があろう。実際はたんなるリスク回避反応じゃないかなあと言っても言い過ぎじゃない気がするけど。
帰りにブックオフに寄って \420 相当を仕入れる。内 3 冊が旧字旧かなの岩波文庫。残りの 1 冊が知的生きかた文庫。この対比イケてると思いませんか(思いませんかね)。取り合わせでもの買うの好きなんですよ……。無意味だけど。電車の中で買ったばかりの梶井基次郎檸檬・冬の日』を読んでいて気になった一節:
しかしただ妄想といふ怪獣の餌食となり度くないためばかりに、私はここへ逃げ出して來て、少々身體には毒な夜露に打たれるのである。
「交尾」第二段落の末尾。いやこの文がすげえわかるとかいうわけじゃないんですが、ここを読んで僕はハッとしたので、小説も読む価値あるなと思った次第。でも目に付くのが相変わらず詩的な鋭さを擁する部分であって、筋書きには関心が向かないので僕は小説読みには向いてないと思う。思うっちゅうか。
あと可能世界・仏教・倫理学、みたいなことを考えたかったが流れのうちに出てこなかったのでまたの機会に。いちおう枠組みは作ってから書き始めたんだが書きだすと文章の流れにのみ込まれちゃってぜんぶがぜんぶ書けるってわけでもないね。