日記

六時半起床。ここしばらく、部活の冊子作りをやっている。それでパソコンを開いてはワードになにか打ち込んでいるし、やる気が出なくてツイッターを覗いているし、仕事が進まないのでツイッターはしまったりしている。自室のテーブルの周りには仏教関係の書籍・辞典類が開いたままうつぶせで落ちていたり、カバーをとって寝かせてあったり、たたんだふとんの上に積んであったり、文献のコピーがファイルの中に入っていたり、いつになくちりぢりになっている。
ここまで書いたら満足してしまった。ひまなので――夕食後で、ギターを弾いて、弾き終えて、作業の続きを取りかかろうとしたけどどこか据わりが悪い気がして、そんな懸念はだいたいいつでも懸念なのだろうけど。
もやもやとした気分が、ゆるやかな波となって日に一、二度、寄せあがってくる。もどかしい。自室から手を伸ばすことはできない。人間を相手にすることに関して、根本的な――というか、決定的な欠落がある。自覚する。だからなおのこと、あのもどかしさの根源は、現実味を失って抽象化する。偶像になる。機械的なトリガーと化す。とにかく、形骸化した条件反射とその余韻。
休み中に卒論のテーマを固める――とまでは、もう、いかなくとも、だいたいあたりをつけとくくらいはしなければならない。それにはいくつかの文献を読む。去年よりは、時間があり余っているわけではないが、やる。
でもまずは目の前の仕事を終わらせようとする。


てか、まあ、寂しいのである。なぜにもこんなに精神的に引きこもっているんだろう。