年はぐだぐだと暮れてゆきます

年末だ。ほんとの年末。 12 月 31 日。年が暮れて、明ける、ということに関しては、いままで 21 年生きてきただけでも(とはいえ一般に 10 代までは激変の時代といわれるのですが)大きく意識が変化した。
小さい頃、小学校中学年くらいまでは、年が変わる、ということはスペシャルな感慨を伴うものだった。まさに自分が生まれ変わるような気がしたものだった。そう……だったのだと思う。たしか小 6 のときに数少ない友人のうちただ一人に宛てた年賀状のなかで、僕は、「年が変わったのにそんな気がしません」と打ち明けたことがある。年賀状にめでたくないことを書くのもあまりよろしくないし、これ年が変わってから書いてんじゃんというツッコミもあるのだが、まあそれは社会通念なのだ。小 6 の僕にとっては、年賀状とは年が明けたあとに、新年のあらたな気持ちで書くべきものであり、元旦に届くようにといって 12 月はじめごろに早々に書いて出してしまうのは理念として間違っている――と、そんなような思いを抱いていた。クリスマスには日付の変わるあいだにプレゼントをもらう家庭で育ったが、これも年をとってくると「ああ、きてる」という程度の感想しか抱かなくなった。小さな頃は、きてるかなきてるかなとワクワク期待と心配に満ちて眠れずに待っていたのに。
べつにそれで、いやな大人になったものだ、とか言うつもりはない。
今年はどうか。今年もまた、年末だから年末らしいことをしよう、とは思わない。哲学やってるとたぶんこの傾向は強くなる。年末だからといって何か特別なことをする論理的必然性はないのだ、というわけだ。もちろん年末のことは社会的な慣習のほうを参照すべきで、だからまあ年末という行事が無意味だって主張するわけはないんだけど、でも少なくとも年末ってやつを無批判に受け入れることはできなくなる。いや、いま、年末をどうこうしたいってんじゃーないんですが。
今日もこれからラテン語のテスト勉強しようと思ってるんですよ。だから、年末らしさというものがない。
それで、なんだろう。
うーん
こう書いてるとなんとなく、社会慣習にしたがい、今年に区切りつけてー、新しい年を迎えて新しくはじめたいなー、という気も不思議としてくるもので、別にその通りにしてもいいんですけど、……
何を書こうと思ってたんだっけなー、なにか微妙でとらえにくいことで、でも、実はそれってもともと実体のないことや、文章を書くことで整理されて消えていく勘違いだったのかもしれないなー。
まあ来年どうするかは来年書けばいいし、このへんで止めましょうかね。思いだしたらまた書きます。