失礼な話

現状報告現状報告。具体的な現実がある日記こそ美しいと書いた。美しいとは書いてない。思ってもいない。どっちかっていうと「面白い」。面白い文章をかける人ってねたましい。さっき「安全ちゃんオルグ日記」をちらと覗いたのだが面白いなあ(ちゃんとは読んでない……、そしてそれゆえリンクは貼れない)。面白いと思うと同時にねたましく思ってしまったのだった。何故か。自分にないものをもっているからで、しかも、それはもっていると生活がひじょうに楽しくなりそうなものだからで、しかも、それは努力により手にできるというよりは天分であってわたくし個人の一存ではどうにもなりそうにないものだから、なのだった。しかしそれらは勝手な推測であるし、自分の中の平衡機関をはたらかせて信念の修正を試みるならば、面白いことを書く、というのは畢竟読み手にとって「面白いこと」なんであって書き手が読み手と同じほど楽しんでいるかはわからない。つまり面白いことが書けるというのは (1) 読み手にとってなにが面白いのかを知っており、 (2) しかもそれを的確に表現する材料とすべをもっている。という要素に分解される。この二点に、自分がそれを楽しんでいるか、というのは含まれていない。とはいえ他人にとって面白いことは自分にとっても面白いことが多いし、そして面白いことを言う人というのは自分がなにより楽しんでやっているはずだ、いやそうでなければならないのだ! という職業倫理じみた神話というか平穏で理想的な世界を維持するためのストーリィをわれわれが暗黙裏のうちに抱えていることも、また事実であろうと思うのです。失礼な話だと思います。僕の書いてることがね。
でー。何だったっけ。その話はその話で完結させたいのですが今僕は大学の後期試験にすこしずつ頭を悩まされながら生きています。レポートが。哲学のレポートって何書いたらいいかわからんじゃないですか。哲学ってゆうのは思いっきり要約すれば「根本的なレベルから考えること」ぐらいのことだと思うんですが、それをまじめに実践すれば 2000 字とか 4000 字とかじゃ済まないのは目に見えてるし……まあいいや。実のところ、だいたい何書けば求められているレポートになるのか、見当はついているのです。専門の論文じゃないんだから、真に新しいことを考える、なんてことは必要とされていない。
あの。第一段落のやつを書いたら書きたい欲が満足されてしまったのでこれで終わりです。また今度。

**

実際のとこ、おもしろいことを言うには、まず「いいかげんさ」が必要とされる。まず、というか、多くには。大げさな言い方をしたり、ということだ。このいいかげんさは、自覚的なもの含めて。というか、これも多くは自覚的にいいかげんになっているだろうと思う。僕も、そういう気分になることもあるし、条件がよければ面白いことを言えたりもするんだけど、パソコンに向かったときそんなテンションに至ることはまずない。「これ、正確じゃないな」という思いが支配してしまう。書き言葉だし、不正確さに気づきやすいのもあるんだろう。そんなわけで、ネットでどんな文章を書いているのかは、能力というよりまずは気質の問題なんだろうと思う。
あと、具体性のある日記の面白さと、「安全ちゃんオルグ日記」の面白さとは、もちろん違います。 interesting, funny, entertaining, ... のような違い。日本語でいうと「楽しい」でいちおう区別できるのではないかと思うが、細かくいえば違っていて、 intelligent な面白さ、というのがある。具体的な日記は、むしろ面白いと言うより端的に「よい」とか言っちゃったほうがわかりやすいのかもしれない。それは技術を評価することばではないから。……(この話はまたいつか)