センター試験から 2 年あるいは 3 年

センター試験だというのに、 Twitter ではそれらしい発言を見ない。あれっ年下フォローしてないんだっけ? いや、してるはずなのだ。と書いてみたが、そもそも (1) センター試験はまだ終わっていない。つまり受けてる最中だから書けないのかもしれない。また、 (2) 年下の誰もがセンター試験を受けてるわけではない。んだよね。
センター試験とか嫌いですよ。いまでも嫌い。マーク式だし。純粋な受験生(もちろん、俺のことですよ)の努力を裏切りますよね。俺は奇妙な純粋さをもったゆえに、そしてそれを徹底することができなかったゆえに、失敗したのですけど。僕のかつてのスタンスは、ひとことで言えばアンチ暗記であって、まず理解しなさい、徹底的に理解しなさい然すれば道は自ずと開けるであろうといった信念で勉強をしていたのですが、そうして今は「でも暗記も必要なんだよね」と喫茶店でしゃべってみたりラテン語の変化表カード作って暗記に勤しんだりもしたのですが、でもまあどちらかというと今考えるとまずかったのは、僕は本物の学究者よりはワナビー(wanna-be, さらっと使ってしまったがこのことば、なんかだめなんだよな)であって不徹底な努力のままあそこまで来てしまっていた、ということだった。何が言いたいのか分からないのですがなんか思い出を書けという指令があたまのなかで出たのですこし、だけ、書きました。よーするに、どこを暗記してどこを理解すべきかってのは、ある、よね。数学の問題だってイチから考えて解けることを目標に訓練していたのだが、それって考えてみれば無数の数学者たちがしてきたことをいっぺんに一人がやるという無茶に苦茶なもくろみであるのだッてことは当時もうすうす気づいていたけれど。ていうか理解と記憶は相互補完関係にあって重なりがある、理解することは記憶を補強し、記憶することは理解に資するので、単に勉強が足りてなかった、ちゅうのも大いにある。はい。思い出話ですね。
いまこういう話題にこういう形で触れるのもアレなんですが大学生は受験生時代のことなんて忘れているので書きますね。いや、ほんとは憶えているんだけど。けっこう、受験生のときどーしてたって話は誰にでも語れてそこそこ盛り上がる話題ではあるのですけど。でも結局はそれはヒストリーであって、目先にあるのは「いかにして単位を取るか」という大命題だったりするのでね。さてセンター試験、誰でも語れる話題であるってことは、ひとつの通過儀礼みたいなもんなんでしょうね。 18 くらいのときにだれもが、それなりの重みをもって経験するひとつのイベント。そうすると新聞やテレビが取り上げるのも納得はいく。高が人口の 1% くらいの話じゃないですか*1、とは思うけど。いちおう「人生がかかってる」ことになってるし。まあある程度は人生、決まるんだろうけど、それってふつうに一般的な就職しようとした場合だろう、とも思う。そういう人が多いので、正しいは正しいんですけど。ハイ。愚痴ですね。しかも非当事者による愚痴なので始末が悪い。当事者は当事者で「客観的な視点が欠ける」とか言われるんだろうけども、非当事者は非当事者で無責任だ。適当な立場としては研究者とか……だろうか。
あと、ここを読んでる受験生のかたがもしいたらですが(いない気がするんだけど)、試験は試験なんだと割り切って対策するのがよいのではないかと、今となっては思います。「学力」じゃなくて、勉強の上手さがどちらかというと問われてるんだと思う。大学受験の人生的な意義については、僕みたいのがいくらごちゃごちゃいっても胡散臭く映るだけだと思うので、特になにも言いません。というか上で語ったし。ね。