性→自転車→ノスタルジー→仏教→古本屋

休日なら、一日に一度は外に出なければならない。外気に身体をさらさなければならない、見通しのよい開けた空間を動き回らなければならない、たくさんの他人と視線を交わさなければならない、つまるところ、自分がこういう世界にあるんだってことを再確認しなければならない。そんなわけで今日も外に出た。普段は近くの河原をぐるりと一周、たかだか 20 分くらいかけて歩いて終わり、なのだが、今日は自転車を使った。というのも、ふと、近くのツタヤに行って、アダルトコーナーを見たくなったのだ。ある短い一時期、私はツタヤのアダルトコーナーからコンテンツを仕入れていた。その際のわくわくする感じを、また感じたくなったのだ。こういう話をすることはめったにないので附言しておけば、人間の三大欲求のひとつである*1性欲にまつわることを話題にしないのは、やはり不自然だと思う。いや、思えば食事についても睡眠についても、僕はあまり語らないけれど、確かにそれらは私たちの生活の大きな部分を占めているし、そのなかで動かしがたい重みをも持っている。文化の生産消費だけが僕の暮らす日常じゃあない、というか、 AV だって僕にとってはまぎれもなく「文化」なのだった。とはいえ、この記事(と、その続き、それから関連記事)を読んでから、 AV を全面的にポジティヴに捉える気力は喪われているのだが。さて閑話休題
で、自転車こいで目当てのツタヤのある商店街に向かったのですが、途上で思い出した。道からちょっと外れたとこ、しばらく行くと、珍しい自動販売機があるのを、親の運転する車の窓から見たことがある。その自販機を僕は一度確かめておきたかった。どんな色のボディをしていたのか。何という会社が供給しているのか。どんな飲み物が入っているのか。自転車に乗ること自体が年に数回になってしまった今、ここらへんに来るのは、たぶん次は来年ぐらいになるのではないかと思われた。だから、今、それを確かめに行くしかない、確かめに行こう、と思えた。道をかえて、横断歩道を渡り、のろのろはしる自転車を追い越し(はよう追い越してほしかったのかも知れないのだが……確証がないし実際のとこ道が狭くて追い越しづらかった)、すこし車道に出て、ぶつかりそうに突進してくるトラックに脅かされ、いろいろなものを見つつ車体を滑らせつづけた。しばらく出たところで、道が三股に分かれていた。
計算外だった。どっち行ったらいいのかわからん。結局カンで真ん中を選んだ。その近くに自販機がある、目印にしていた和食のファミレスを見つけたのだが、そしてそこまでのどこかに件の自販機はある筈だったのだが、それは見受けられなかった。どっかで見逃したか、あるいは撤去されたか。同じ道を辿りなおす気はなかった。とりあえず……
目に入っていた道路標識というのか、青地に白で、東京まで 12km 、みたいなのあるじゃないですか。あれに、自分が行っていた高校のある場所の地名が書いてあったので、いっちょいってみるか、という気になって、そっちに向かった。ぼんやりした方向づけだが、なんとなく目的地に着ける自信はあった。たとい着けなくてもなんとかなるだろ、とも思えていた。そして、案の定、着けた。浪人のとき受験のために調査書を取りに行って以来(これか:)、つまり二年ぶりに、「懐かしき」通学路、やがて校庭そして校舎が。
「懐かしき」にカギカッコつけたのは、他でもない、大してノスタルジーに襲われなかったからなのでございます。高校というものに対してひとは漏れなく少なからず格別な思いを抱くものだという信念を僕は片隅にもって暮らしていますが、その自分自身にして、特別に喚起されるものがなかったのは。まあそんなもんなのかーと思った。僕はユニコーンを口ずさみながら校舎の前を通り過ぎた。金網ごしに校庭が見えた。どうやら大規模な工事中だった。休みだったのかどうか、閑散としていた。誰かが建物から出てきたが、知らない人だった。そのくらいの印象しかない。卒業して三年も経てば、まあ、そんなものだろうかと思う、思うしかないのかもしれない。くるりと迂回して、見つけた自販機でスコールのラムネ風味を買って、「懐かしき」通学路から帰ることにした。それにしても、自転車降りたときのこの徒歩のもたもたした感じは。
もちろんと言うべきか、かつての様々の思い出がつまった通学路をすべってもまた、「あのころ」と同じ気持ちでいるわけにはいかず、どうしようもなく 21 歳のアダルトがかった自分が過ぎている通学路だった。とはいえ、すこし思い出すこともあった。そこのセブンイレブン。当時もおなかの調子が常時よくなかった私は、特に冬になると、寒いなか風切って自転車こいで登校するさい、ほとんど決まってお腹を痛くしていて、そのたびトイレポイントを意識しながらはしっていたのだった。そのトイレ・ポイントがこのセブンイレブンだった。「もうすこしすればセブンイレブンがある」。これを何度も心の中でとなえ、心の支えにしていた。それからもう一つ。もういっこ、高校により近いとこにもセブンイレブンがある。高校の近くまで来た僕は、またも「彼女に会えるのでは」という根拠なき、確率もそうとう低い可能性を内に抱いていた。彼女というのはむろん、高校のときいわゆる「好きだった」人ですね。結局のところ今のところ僕は特定の異性を絶対的なものと見なし食事をしていても布団に入ってもたびたび君のことが思い出されるんだ……みたいなことを、通俗的にいえば恋いってやつを経験したのがあれ一度っきりなので、というかおそらくアレがまだ軽微ながら緩慢に続いてると言っていい状況にあるので、うーんことあるごとに彼女のことを思い出してしまう、ことがあるのです。
そんなわけで今日は高校の近くのセブンイレブンを通りかかったので、彼女がここでバイトしているかもしれないという思いを起こした。入んなかったけど。確証ない、というかありそうにないことだったし。でも、もしそうだったら……という妄想は自転車走らせてるあいだに発展していき、僕はそのなかでセブンイレブンに入っていった。彼女がいらっしゃいませと言う、言ってから僕に気づく。僕は彼女に話しかける。「久しぶり。今はなにしてるの。どんな身分なの」僕は、彼女にそんなふうにふつうに話したいんだ。それだけなんだ……。と、ここまでが妄想。改めて書き出してみて、これはありそうにない、まったくありそうにないと分かったけど、高校生の時分は下校中そんなことを考えてることが多かった。僕は、彼女とふつうに話せればそれでよかった。満足だった。しかしそれは叶わない。どうやら、人間、手の届かないものに限ってそれを欲望してしまうようで、というのは手を伸ばせば届くのであればそれを欲望する必要もなくなるわけなのだが、だから、僕のその思いもけっきょく実現されることはなかった。さらに気持ちの悪いことを連ねてしまうのだが、去年の成人式、彼女を見つけて、しかし話しかけられずにしばらく見ていたのだった。しかもさらに悪いことに、なのだが、しばらくすると不意に彼女がこちらを振り返ったのだった。目を合わせることはできなかった。その場を失敗裏にやり過ごし、僕はいたたまれなくなってその場を去った。そーいうこともあった。何の話だったっけ。だからたぶん俺はこの先もしばらくそんな調子なんじゃないかと思う。大学生の知人とはまあそれなりにまとも(よりいくらか下)なコミュニケーションができるが、彼女とは今もだめだ。話しかけることができない(しかも、あっちから話しかけてくれるような気がしてしまう)。
さて、この気分を残しつつ、さっきまで風呂入りながら考えていたのだが、欲望というものと付き合うにあたって、それと現実との連関をはっきり認識することは重要である。すなわち、欲望と現実とはじつは対応しあっていない。欲望は、いわばその実現可能性からは独立して存在するといっていい。なぜなら前述のように、欲望は現実化されえないものに対して起こるから。いや……まあ、それは多少誇張があるんだけども、それを差し引いたとしても、欲望に伴うあの甘い快楽はなんなのか。読んでみたい本のことを考えるとき、僕はこのうえなく幸せだ。その本が実際に手に入ったときよりも幸せだ。欲望が成就されるときはいつもあっけない。(努力のすえにそれを手に入れる、ということをしないからかもしれないが。) 要するに、欲望とは快楽装置なんだと言いたい。欲望することは快楽を与える。それだけ。どうも常識からはなれた答えだが、今の感触はそんなところだ。ただし、それは不健康な快楽でもある。快楽の背後にはいつも不満足感が控えているからだ。そのため私は欲望において快楽を得ると同時に、その実現に向けて駆り立てられなければならない。実現しがたい欲望ならこれは板挟みの状況になり、どこかに不自由感を覚えつつ生きることになる。一方、本を買うくらいならまあ実現できる。だが、そういった欲望は、実現されたそばからまた別の欲望が生えてくる。こうして欲望は尽きることがない……。とまあ、僕が仏教(特に初期仏教)にシンパシーを抱いているのにはこんな(いわば思想的な)背景がある。『スッタニパータ』、近いうちに読みたいな。ああっアマゾンの当該ページみてたら欲望がわいてきたっ。。。
それから僕はツタヤに行った。この外出のもともとの目的だったツタヤ。自転車をとめて店に入って、すこしだけ人目を気にしつつアダルトコーナーに直行した。ひとり人がいた。なんか前より狭くなった気がする。もともとそんなに広くはない。思った以上にメジャーレーベルが多く、あんまし見るところがなかった。それまでの旅(と呼ぶことにする)で、まあいろいろと満足してたのもある、特に感ずるところなくコーナーを出た。ムーンライダーズの CD を探したがなく、あとはダンスミュージックのところをすこし見て(明らかにエレクトロニカと混ざってた、オウテカとかあったし)、店を出た。
そのまま帰ってもよかったが、商店街には古本屋がある。古本屋に行くことがめったにないので、なんかもの勿体なさから入ることにした。中は狭い。狭いのでカバン下ろしてください、と自動ドアに張り紙。文庫、新書とみていき、棚を移動。マンガ。それから……、いつのまにか古本屋のアダルトコーナーに入ってもいい年齢になっていた。もう 21 だよ。何年こういう場所に行ってなかったか、ってとこか。ちょろっと入ってみると、案外な量の AV が。こういうのはむしろ買い手がないのかもな。僕自身も、特に欲しいと思うものがなかった。けっきょく「これは!」というものは見つけられなかったが、折角入って手ぶらで出るのもな、という気を起こし、ひとつ買う。大野晋『日本語練習帳』、 \99 。なお、小さい古本屋だったが、しばらくいて見たかぎりでは、ちょこちょこお買い上げはあったもよう。
以上、今日の外出の模様でした。

*1:と、ここで「三大欲求」で簡単に検索したのだが、学術的な根拠があるわけじゃないんすかね。