所感

というわけで僕は無事です。そして僕の周りの人たちもおおむね無事のようです。この地震を受けて、すこし考えたことを書く。僕もわりと、こういうときに「ほんとうに必要な情報」以外のことを書くのは、しかもこの日記のような、ほとんど役に立たないようなことを書くのは、不謹慎だ、という思いをどこかに抱いてしまう者なのですが。だけど、いま僕ができることって何だといえば節制することと沈黙することとすこしだけ募金することとこの日記を書くことぐらいだと思ったので、書いておくことにする。プライベート・スペースだからいいかなと思う。俺はまじめだけどけっこう軽薄だ。それは言葉遣いに表れている。
「何ができるだろう」とは考えた。だけど結局たいして何もできないという結論に行きつくしかなかった。僕のTwitterのタイムラインには知識もありリテラシーもある優秀な人が多く、僕自身がなにかを言う必要もないと感じた。僕はこういうときに役立つ存在ではない。いくつかの人が言ったように、沈黙が最も適切な選択肢になるときもある。無理に役立とうとしては、むしろ、いけない。そのことを実感として自覚できたのは今回がはじめてだった。
地震についてはいろいろ考えるだろうと思った。だけど大して考えなかった、正直に言えば。人生とかについて考えるのだろうかと思ったが、大して考えなかった。考えるよりも情報を集めることに時間を使った。津波の恐ろしさとか、原発のこととか、電車が止まることとか、すこし認識は増えた。これは人生という抽象的な問題なのではなくて、むしろ徹頭徹尾有用性――いかにして多くの人を助けるか――という問題なのかもしれないと思った。哲学よりは政治の問題なのだと。周辺のこと、地理や原子力やその他実社会に関する知識が圧倒的に足りていないことにすこし危機を感じた。知識もそうだがリテラシーもだ。
僕は縮小版の日常生活を続けるんだと思う。情報は摂り続ける。もうすぐ計画停電が始まるかもしれない。