ポイ捨てがむかつくのはなぜか

なぜなんでしょう。
今日の下校はなにかとつまらぬことばかりを目の当たりにした。夕暮れの電車の中では、高校生の3人組などが乗り込んでくる。しゃべっている。しゃべることそれ自体はまだいいが(実はそれも嫌いだが)、ある男子高校生は友達を叩いたり押したり、そういうことをしゃべりながらやる。実にナチュラルに人に(ごく軽微な、ではあるが)危害を加える。危害というほどじゃないか。まあ物理的なそれだけでなく、相手をからかった発言ばかりするとか電話に割って入ったりとか、うーんうまく描写できないのがもどかしいが彼は結局、そういうたぐいのコミュニケーションしかできないのだと思う。ちまたでコミュ障ということばが流通しているようだがああいうのが典型的なコミュ障なんだと思う。暗い奴だけがコミュニケーション障害なのではない。まあ、高校生なので未熟だ、というのが適当なんだが。
ところで、これには続きがあって、急行電車の中、ある駅で人がながれ混んできて、車内はにわかに身動きとれない空間に化した。そこで声。無理に入ってきた乗客が邪魔な位置にいるというので、件の高校生が文句を言っているのだった。まあ文句ぐらいだったら言ってもいいと思うのだが(満員電車になおも乗り込む人は、こんな劣悪な環境をさらに劣悪にしようとしてるわけで)、彼の場合はよりたちが悪くて、つまりふつうに同級生をののしる調子で、入ってきた大人のおっさんに文句を吐いているのだった。「〜してんじゃねえよ」調で。やはり彼はコミュ障だと思う。よくいえば不器用。僕自身はこういう物騒な雰囲気になると弱ってしまうのだが、彼は不器用で未熟なんだなあ、ぐらいの認識をもって眺められればもうすこし快適に暮らせそうだ。
どうも長くなってきた。この他にも2点ほどあるのだが、それは省略する。最後に、タイトルにしたポイ捨ての話を。
最寄り駅に降り、家まで歩きだし、もう少しで着くなあという橋の上でのこと。中学生ないし高校生ぐらいの男子5人くらいの集団とすれ違った。すれ違った2秒くらい後に、バサッという音が下の方でした。ようするに、彼らのうち一人が、コンビニで買ってなんか飲み食いしたあとの残骸を橋の下に捨てた、ということだろう。コンビニの袋の姿は確認した。
僕はこういうとき、ポイ捨てした奴の背中に飛び蹴りを食らわしたい気がする。これはけっこう毎度する。あまりにもいつも同じこと思ってて発想が硬直してるのかもしれないけど、それは置いといて、ここで問題にしたいのは、なぜそう感じるのかということだ。ポイ捨ての現場を見るとすごくむかつく。だから飛び蹴りを食らわしたくなる。まあそこまではいい。だけど、なぜポイ捨てはむかつくのか。これは自明ではない。僕の中でね。ポイ捨てに対する感情をより深いレベルで納得できれば、こういう場合にどうふるまえばよいのか、うまく対策が立てられると思うのだが。
こういう話をすると、「正義感が強いんだね」という反応をされるかもしれない。自分では正義感が強いなんて日々自覚しながら生きてるとは思えないけど、うーん、どうなんだろう。悪を許せない、そういう意識でもって怒ってるんじゃないんだよね。むしろもっと単純に、原初的に、むかつく、というのがしっくりくる。ポイ捨てで誰かが迷惑を被るとかそういう話ではない。この事件モデルからすれば一見無関係な俺が、むしろ傍観者たる俺こそが馬鹿にされたり侮辱されたかのような“むかつき”が、そこにあるように思う。とはいえやはり俺はその場に居合わせたというにすぎない存在ではあって、奴のポイ捨てという行為は俺に向けられたものでは当然ない。そうするとやっぱり義憤……みたいなとこに落ち着く気がする。
いや、むしろこの世界がクソであることへの苛立ちか。あえて粗い表現をしてしまうが、電車でつまらなそうに笑いを探す高校生や楽しそうにしゃべるサラリーマンどもも、満員電車に乗り込んでくる奴らも、それに無闇と絡んでたあいつも、それにうまく関与できずにいたわれわれも、また帰り道、泣き叫ぶ子供に自己責任を押し付けるだけの母親も、「悪い子」というそれ自身頭の悪い表現も、子供に理屈で対処しようとする母親も、ゴミ捨て場が見つかるのを待つこともできず、周りの同級生たちに若干ひけらかす感じで中身の入ったコンビニ袋を橋の下に落とした彼も、この世界はクソな奴だらけだと思う。いちおう自分も入ってるが基本的には彼らほど馬鹿じゃない。
……とまあ書いてみたがさすがにどうかと思う。要するに「馬鹿ばっかり」ということなのだ。しかしまあ、かくいう私も、頭のなかでは分かってるが実践には移せていないことが山ほどあって、そうして世間の人も大なり小なりそんなところなんだろうとは思う。今のは外野からがやがやヤジを飛ばしたにすぎない。とはいえ、馬鹿を馬鹿のまま野放しにしてもいいとは思わなくて、みんな改善できるとこは改善の努力をすべきだし、ひとの改善できそうな点を見つけたらきちんと指摘してあげるべきだろう。無関心を装うのは、やっぱりよくない。