ひとつだけ言いたい

ひとつだけ言いたい。
ツイッターは体に悪い。
いや、一般論じゃないけどさ。まあわりと一般論のつもりだけどさ。
しかし、なにが悪いのかはいまいち不明である。曰く、その非生産性であるという。いや、事実上なにを生み出しているかというより、見かけ上の不毛さか。ツイッターはどこか不毛だ。どこが、というとわからないが。いやツイッターが不毛というか、今の俺にとってツイッターを見ることが少なくとも不毛なのだ。俺がいま必要としているのは、勉強や読書であり、ひととコミュニケーションを交わすことであり、自分の将来を考えて動き出すことである。ツイッターはこれらのひとつも満たしてくれない。少なくとも効率よくはいかない。フォローする相手は intellectual な観点から選んでる気がするが、なんだろう最近あまりみんな具合がよろしくない気がする。いや俺のせいなのか。メンテナンスを怠ったためか。分析していくとよくわかんなくなるが、でもとにかくなんかツイッター見てると疲れたり居心地悪くだらけたり停滞してる感があり、それははっきりとよくないことなんだと思う。
居心地の悪い場所にあえてとどまろうとする、という癖がにんげんにはあるようだ。『考えない練習』ではそれは刺激を求める本能みたいなもので説明されている。居心地悪さについては、負の刺激といえども刺激は刺激で、しかも負の刺激のほうが刺激的なんだそう。まあそういう説明がだれにでも納得できるかは別として、確かにそういう指摘にはうなずけるところがある。基本的に現状を肯定するよりは文句いってたほうが気持ちいいし。でもそこに安住してるとなんも進展しない。不快感とその解消の永久機関。ぐーるぐるーぐるぐるぐるるーぐる*1
すこしでも合理的に生きようとした場合、そういうのは快適な生活の妨げになるものとして遠ざけるべき、ということになる。僕は人間のベースは不合理性にあると思ってるんだけども(機会があれば後述)、でも人間の社会や文化は合理性前提で組まれてるので、それらにきちんと対応して長期的なアレを見て暮らしていくには、やはり合理的な選択とやらをとっていく必要がある。
あるのでなるべく惰性でツイッター見るとかそういうマネはよしたいと思う。(身も蓋もない話ですいません)

*1:マグロ/cali≠gari