あいってなんだ

近頃は UA のベスト盤を聞いている。近頃といっても昨日今日とちょっと前にすこし程度で、聞いているといってもまだ曲名で中身が特定できそうなのは 5, 6 曲くらいなんだけど。 UA というアーティストはなんというかとても信頼できる感じがして、そうすると歌詞を覚えたりして楽曲をよりよく理解しようとする。それには、歌を追うようにして歌詞を自分でも口にしながら(声にはしないけど)聞いたりする。
UA という人は実験的な作品も出していて敷居が高い*1感じがするし、 CD のジャケットなんか見てもスピリチュアルというかナチュラルというか、どこか浮世離れで超越的な印象をもたれるんだけども、実際聞いてみると、けっこう、ふつうの恋愛のことを歌ってたりする。でも、いわゆる「ポエム」のような行分けしただけのたんなる状況報告に終わってはいなくて、きちんと詩として成り立っている……と思う。でもここで話題にしたいのは、われわれが UA の言葉を理解するということだ。っていうかまあ。
「リズム」という楽曲の歌詞には次のようなフレーズが含まれる。

何を見て 何を愛して 何に傷ついてきたの
青いバラの灯ともして 語り合おう 夜明けまで

「愛」「愛する」ということばは特殊な立場を占めていて、われわれは愛について「よくわからない」とか「いいかげんな表現だ」とか捉えたりするけれども、そのいっぽうで UA のような「信頼できる」作者がこうも自然に愛ということばを使ってみせるという事実もある。少なくとも、歌のフィールドでは愛ということばの用いられる頻度は低くないし、しかもそのなかで適切にそれが用いられている例もまた少なくない。もちろん、いいかげんな・空虚な「愛」の運用もたくさん見られるけれども、である。つまりこれは、端的にいって、愛というものが(なんらかの意味で)実在する、ということを示していると思われる*2
それにしても、「愛する」が「見る」と「傷つく」と同列に並べられるというのが興味深い。同列にあるということは、この場合、(ある観点からして)同じくらい重要だということを示すと考えていいだろう。この部分を聞いたとき、ピンと来なかったわけではないんだが、この言葉選びにすこし意外な感じがしたのは、僕が愛というものを小さく見積もっていたからなんだろう。……
「愛する」と「好き」との区別が必要である。つまり、それは能動的な動作と自発的な状態との区別ということになる。しかし能動的な「愛する」という動作などありうるのだろうか? それが僕の中心的な疑問だ。
もいっちょ引用。真心ブラザーズ「愛」。

君と一緒にいたいだけなんだ 君に触れていたいだけなんだ
君と話したいだけなんだ 優しくして優しくされたい

できれば全文引用が望ましいが、それはできないのでこちらで見ていただきたい:。これはどっちかというと自発的な状態たる愛、ですね。そしてこうした主張は直ちに納得できる気がする。つまり、上に引用したような自然発生的な感情の総称が愛なんだ、みたいな。愛は集合の名前であって個体ではない、みたいな。
でもこれは、いっぽうで子供っぽいよな、とも思える面があって。ものの本によると、なんでも特定の異性と付き合っていくためには、自分がこうで相手がこうであればよい、というわけではなく、積極的に愛を演出するようなことをしなければならないらしい。僕はそういう主張にもまた納得する。日常は維持していくものだ。気を抜いたとき起こるのは慣性に乗った等速直線運動ではなくて、不本意な流れに流される無軌道な運動である。なぜならこの世界は真空ではないから。……。(余談だが、「ものの本」として参考にしたのはモテる技術 (ソフトバンク文庫)のことである。途中まで読んだけど面白い。読み物としても、啓蒙書としても。)
ところで、でも、 UA はここで愛を演出してるのかというと、別段そうだというわけでもないなあ。
(中略)真心ブラザーズUA 、子供と大人の対立を念頭に置いて述べるなら、ここで UA は主体的な人間のあり方にあるのだと思う。また、具体的な行動を伴う所作でもあるのだろう、愛するということは。対して真心ブラザーズの愛は(いや、歌詞の中で引用部分が愛だと彼らがはっきりと言ってるわけではないのだが)受動的である。欲望は描かれるが、それは実現に直接つながっているわけではない。
……どっちがいいというんじゃないが、現実主義的になったとき、 UA 的なあり方をとるべきなんだろうと思える。いや、なんか、僕の話になっちゃいますが、本を読むよりも読みたい本を探す時間が多く、実際に相手を見つけることなくセックスの従属的代替物たるえろ動画を見るのに、見るよりも探すのに、はるかに多い時間をかけてきたなあと今日、散歩の帰りにふと思って、ほんと現実見てないよなあと思ったのであった。現実主義ということばは当たり前のことを述べていて、ずいぶんと空虚な立場だなあと見えもするが、当たり前のことが見えていないんだからこうして強調するのは意味あることだろう。

*1:誤用

*2:なんかあたりまえのことを言った気がする。一般的に、文学的な叙述の中では、ひとつの語に豊かな意味を含ませることが重要で、それにはたとえば A という語に内容を詰め込むには同じ叙述の中で A や A に隣接する概念について語っていく必要がある。たぶん。推測だけど。だが、だとすると、それはべつに愛に限ったことではない。ということはこれは語の運用の話ではないということなんだけど。