方丈記がタグ打ちで縦書きして妥協し、彼女の風俗店の服装を口に出して泣きそうになる話

いまだに html タグ打ちの妄誕Fからここに飛んでくる形跡が見えるのは、なにか意味を読み取るべきとこなんだろうか。思うところあればご一報ください。まあ現状あっちに戻る気はしないんですが。それはブログがいい、ブログが優れてるからではなくて、ネットでの発言(ま、ひとりゴトですが)活動にたいしてさほどの労力を割かなくなってきてるから、でしょう。環境としてはほそぼそとタグ打ち方丈記のほうが快適なんですけども。妥協してるということですナ。まあいいやっていう。
用あって本棚のいちばんうえのフロア、そこには社会において生活するさいに手許に増えていくさまざまのゴミ書類が蓄積されてるのですけども、その部分を整理していたら、数枚の紙をホチキスで綴じたものが出てきた。見たら、あの人やこの人の日記を MS Word で縦書きにレイアウトしなおして紙に刷ったやつであった。このときのやつ。やっぱ活字のスタイルで読むとちがう。より冷静に読めるような。その説明としてはパソコンだとモニターの光の刺激とか画面にいろいろ余計なものが映り込んでることとかに原因をもとめることができそうですが、そこにはあまり興味はない。まあけっこう新鮮なのでお試しあれといった話か。
コミュニケーションの問題ならびに派生して生じる「彼女欲しい」の問題にからんで、それから生活の一般規則たる「なんでもやってみよう」の律にも発して、今年の頭くらいから、風俗店を一度利用してみることを検討する、というのが散発的にあるのだが、そして今またその時期にきてたんだが、しかしそういう話ではない。風俗店っていっぺん小さな旅行いけるくらいにはお金がかかるので、あと未知の世界で不安があるのでわりと念入りに(だらだらと)下調べするのだが、そのそこで働いてる女の子(女の子とあえて言う、やっぱり)のブログなんか眺めてると案外となんちゅうか文化水準が高いんじゃないだろうかみたいな感想がでてきて、いやまあ女の子には女の子の文化があるんだけどもね。(何の話) いや要はある女の子がすてきな洋服を着ていて、とてもいいと思うので、洋服を選ぶことはたいせつだなあ、洋服選びたいなあと思ったのであった。風俗のお金を洋服にまわすべきなんだろうか。お金は大事だよっての、近頃ではきれいに納得して退屈な真理にさえ思える。
あーそういえば、昨日(一人で)カラオケ行ったんですけど、岡村ちゃん岡村靖幸の「カルアミルク」歌うと毎回サビのとこで涙ぐみそうになる。毎回ってまだ 2 回だけど。自分の歌で感動するたぁおめでてぇなという感じがしないでもないですがそういうことじゃあない。あのメロディを口に出して発声することが云々なのだと思う。あとムーンライダーズ「 9 月の海はクラゲの海」もちょっとやばかった。こちらはバックミュージックがでかい。「Don't Trust Over Thirty」をいずれ入手しようと決めた。<ベストでしか聞いたことない