こういう自分は(客観的に見たとき)どうかな、という気がしないでもないが、というかよりストレートにいえば、こうして書いたものを読み返したとき、外からは俺は気持ち悪いやつ、なんかいけ好かないやつ、に見えてんだろうなあとは思う。
ツッコミではなく言い訳・自己正当化になってしまうけれども、このことは意図的だ。いや意図的に気持ち悪いいけ好かないやつであろうとしてるという意味ではなくて、気持ち悪いのもいけ好かないのも検閲せずに出しちゃおう、という方針をさいきんは立てている。「いいコになんかなるなよ」(The ピーズ、1990)じゃないが、自分が清らかな存在でないことを、すくなくともいったんは認めたほうが、ラクではあると思うしラクにものごとを為せると思う。ツイッターのプロフィールにある通り俺は自由になりたいのです。
この記事にかんしてはさらにツッコミがはいりうる。まあ今日はもう書かないと思うけど。