止まるより

止まるより言葉をつなげ。思考停止がいちばん恐ろしい。思考停止がいちばんよくある失敗だ。思考停止をそのままにして言葉につまってしまうのが僕のよくやる失敗だ。
子供に読み聞かせるのにおすすめの本はないか、と尋ねられて言葉につまった。いや私は児童書を日常的に読んでるわけじゃないし、児童書のソムリエの訓練を受けたわけでもない。これはいわゆるムチャブリというやつである。無茶振りにはまともに応えんでよろしい。いや、そこまではいわなくても、それに適切な、求められている答えを返せなくてもそれは己の能力不足ということにはならない。特に俺が責められるいわれはない。責められるっちゅうか。答えられなくても仕方ないアレではあった。だけどなんかこれにキレイに答えられないのが許されないことというか、どうも一般的な傾向として僕は投げかけられた問いにきれいに沿うような返しでなければ、むしろ返してはならない、くらいに思ってるらしいのだ。まえに書いた必然性を重んじてる話にも重なる。あるいは「自然さ」。たまに話しててトンチンカンな答えというか、こちらの意図とは関係なくあちらが話題にしたいことを話題にしたいままに返してくる人がいるが、でも実際あんな感じで実はよいのだと思う。だって相手の意図にきれいに沿った答えなんてそうそう出せるもんじゃないんだろう。いや、うーん、べつに話の脈絡を無視するまでいかなくても、わからないことは素直にわからないと言うしかない状況はある。けっこうある。最後に残された選択肢が「わからない」であった場合、それを拒否することはすなわち黙ることであって、黙ることはすなわち99%死への道である。ぐふ。実際は「わからない」は行き止まり、さようならの合図ではなく、わからないと表明することで代替案を考えることができたりして話が進みうるものなんだから、やっぱり頭んなかぐるぐる考えてるプロセスもなるべく口に出して、止まるより言葉をひたすらつなごうと思った。そうしたいなあ。