必然性どうすっかなあ。承前。いやべつに承前というほどではないが前にも書いた話。どうも投げられたボールは、相手がレールを敷いてくれたら忠実にその上を走らなきゃいけないとか、まあ相手を否定するのがいやとかこわいとかその先どうなるかわからんから怖いとかあるんだが、にしてもとにかく必然性の伴った返し、キャッチボール
思い込みはまずそれが思い込みであることを認識すること思い込みを思い込みとして対象化することからその克服がはじまる。でもそれはやっぱり入口なんだよね。でも入口以外になにかあるんだろうか。その先はいきなりプラクティスになってるように見える。だとしたらプラクティスを促進する手立てを考えたらよいね。
抽象的な話をして、するとまず形而上学的な方向に行って「答え出ないね」となるけど、そこでうろうろしてるのはやっぱセンスの悪いとか、すべき話はそこだけじゃないでしょというのはわかるのだが、それがどうセンスが悪くてどう行き止まりになってるのかをうまく説明できなくて哲学科なのになんかふつうの思弁的なこと好きみたいな人と同レベルじゃんと思って劣等感わいた。
第一にはやっぱ思考の整理足りないねという指摘で、第二はそれに付随してそのためにはまぁでも実力不足というのはへりくだりすぎで普段あまりしゃべらないので表現の仕方もよくわかってないし表現をその場で探すやり方もわかってないし思考の整理も進んでないし。文章書くのとしゃべるのとではスピードもぜんぜん違うし。
しゃべっててあれとこれが論理的につながらないとヤベッてなる。論理的につながってないじゃん、これじゃ話できないじゃんてなる。言葉につまる。まあ第一には理路をちゃんと点検して整備しとけよなって話であり、うーんそうだなあ。プラクティス。でもなあ。できるとこからやってくしかないけど。