つづき

ああそうか校則にはこれにしぶしぶ従ってる、というケースがあって、それを一概に合理性のモデルにあてはめちゃうと違和感が生じるんだな。つまり。
しぶしぶ校則に従ってる人は、それが自分にとって一番よいと思っているのだろうか。どっか破れてる気がするんだよな。まず心理的な角度からいえば、校則に従うことの意味やメリットをきっちり理解したうえで納得して従ってるなら、「しぶしぶ」なんていう否定的な気持ちはそもそも生じないと思われる。イギリス経験論っぽく「規則を破ることから帰結する処罰を避けるために規則に従っているのだ」という説明には説得力があるが、ここでは問題の所在を覆い隠しているかんじがするのでこれ以上つきあわない。
「一番よい」というのはポジティヴな価値を思わせるので、「一番マシ」と言ってもいい。一番じゃなくてもいい。一番じゃなくてもいいっていうか、単に「マシ」というのでもいい。つまり彼にとって校則を守るというのはマシな選択肢なのだと。校則を守らないのは下等な選択肢だと。ん、どうも一貫した表現で述べるのが難しいな。あるいは数値で表現してもいいかな。いやでもそうすると計算がでてきてコンピューターモデルになるのでよくないか。
やはり焦点は、人間がふだん理念的に考えられるように合理的だろうか、というとこにある気がする。経験論っぽい説明でも、そこでは規則を守ることが(自分にとって)合理的なんだ、という判断が前提されてるし。