ちょっと休憩

どうもあの人のことが思い浮かぶ。電車に乗ってるとき。家に帰ってギターを弾いてるとき。ギターいいですね。ひと月くらい前に練習はじめたのですが。単体で完結しているので一人で弾くぶんにはいい。教養としてだれもがギターを弾ける社会になってもいいんじゃないかと思いますが。それは言い過ぎか。まあでも楽器を弾けるというのはいいものですね。なんか。感情のやり場というか。いや感情がなにか別のエネルギーに変換されて昇華されるみたいには思わないですが。手っ取り早く気を紛らわす、ってことなのかなやっぱ。あとは詩が書けるとかでもいい。俳句が詠めるとか。ああ運動するのがポピュラーなのか。で話が戻るとギターを弾いてるときはでも「あの人のことが思い浮かぶ」タイムではないかもしれません。どちらかというと、帰宅して、さて何しようか、と立ち止まるとき。
どうも自分よりりっぱな人を好きになる傾向があるようだ(サンプル数: 2 )。それで近頃は勤労している。いや大して変わらんけど勤労することを志向している。勤労っていうか読書とか勉強ですが。わからん。勤労することが必ずしもいいことではないだろう。でもそういう価値を俺はたぶん根強くもっているんだろう。わかんねえけどね。基本的に人がどういう行動傾向を見せるかはその環境に大きく左右されると考えているので、その人がなにかその人の本質においてりっぱだと心の底から思っているわけではない。いやむしろ心の底でこそそう思っている、というほうが当たってるのかもしれないけど。ともかく自堕落に見える人よりは働いてるよに見える人のほうが魅力的に見えるんだと思う。でも自堕落に見える女性ってあまりない気もする。
勉強するのは基本楽しいし、第二第三外国語の文章を腰を落ち着けて読んでるときなんかは穏やかな快楽を覚える、「世界と調和している」感じがする。「調和してる」というあたり、そういうお仕事が向いてんのかなと思うことはなくはないがまあ、速断だろうとは思う。「そういうお仕事」がすなわち研究職というわけでもなかろうし。