とてもネットにはアップできない短い文章を書いた。アップできないというのは、恥ずかしいからではない。恥ずかしいことはいままで何度か書いてきたし、またそれはスピード楡男の方針に反したことではない。むしろ恥ずかしいことを書かずになにがインターネットの意義なのだろうか、とも思う。むしろ問題は、その文章の内容から、特定されてはまずいものが特定されてしまうおそれがある、ということで、くだんの文章にはちょっと具体的過ぎる情報が織り込まれている。まあ普通名詞しか入ってないんだけど、読む人が読めばわかるので。
そのなかで述べられているのはふたつの悩みである。悩みはジレンマのはざまに生じる。悩みとは、ジレンマに示された選択肢のどちらかをとるなんてできない!ということを表明する態度だ。それはジレンマに直面した時の人間の素直な反応と言える。でも実際にはどちらかに決めないと話は進まないし、悩んでいる状態はある面では気持ちいいしそれを否定する強い理由はないんだけれど今の自分は話を進めることに重点を置いているのでこれからすべきことを決めようとする。 A をとるか、 B をとるか。あるいは A も B もとる方法を探すか。それともどちらもとらないか。
問題のひとつはわりに簡単だ。通俗的な道徳に照らしても答えは出るし、またそれは納得できる答えでもある。それは俺がもっと大人になれよというはげましを含む。あれこれ気になった方向にふらりふらりと思うままに手を出したり引っこめたりしているばかりの自分ではいられない。通俗的な道徳を抜きにすれば答えは一つではないが、その一つ以外の答えを実践するのは容易ではない。かなりきめのこまかいストラテジーとそれを実行するハンドルとブレーキのよくきく理性が必要だ。それはやはり大人にしかなせないわざだ。
もうひとつの悩みはより複雑な構造をもっているように思われる。(てかさっきから自分のことなのに他人事のようである。ストラテジーだとか構造がどうとか。自分の悩みだぞ。それに他の人も関わってくるのに……。) 構造とか言ってみたけどよくわかんない。ジレンマになってるのかどうかもよくわからん。確かに決めるべき事柄の性質からいえば、 A or not A できれいにジレンマである。両選択肢は並立しない。でも今度はとるべき選択肢を道徳が決めてはくれない。リスクを考えれば not A か。いやリターンを考えれば A である。いや利害というレヴェルで取り扱える問題ではないこれは。この問題において、自分のあり方は他者のあり方むしろ生き方?に大きな影響を及ぼしうる。誇大妄想は入ってるかもしれない。
いや。しかし考えてみれば、人が人の間で生きるというのはがんらいそういうものであった、むしろそうであるべきなのではないか? そういうものを自分は避け過ぎてきたのではないか。良心の原理。ひとの自由を妨げてはならない。他者に干渉してはならない。曲解されたジェントルマンな道徳がわたしの行動を過剰に制御する。ひとの邪魔をするのは基本的には好ましくないが、ひとがしてほしいことをするのは是非ともすべきことだ。むしろ他者に干渉することさえときには積極的にすべきかもしれない。
あーーそうか。そういうポジティヴな角度からコミュニケーションをとらえる基本視点を自分はもってなかったと言える。……というわけでもないか。結局自分が傷つくのが怖いんでしょ的な結論に落ち着いて、まあそれは処方箋が立てやすいので悪いことではないかもしれない。
直観は A と言っている。しかし俺の直観は俺のために、俺の楽しい方向に向かって直観する直観だ。端的にいえば、ことを起こすか起こさないかという根本的な違いだ。まあいまの行動規範を考えればやはり A なのだが……。なんかわかんなくなってきたのでまたしばらく考える。