まずは定義しろ話はそれからだ

なんでも議論するさいに言葉の定義をすることは大事で、そうしないとたとえば A さんの「健全」の意味の理解と B くんの「健全」理解が食い違って話がすれ違って議論にならない危険性が高まる。なのでわれわれは議論の初期段階で「その言葉の定義は?」と訊ねたりする。
ここで気をつけねばならないのは、なにも訊ねた相手は「健全」ということばの完全無欠な辞書的規定を求めているわけではさしあたりない、ということだ。なんとなく「定義は?」と訊かれるとふるまい A が健全であるための必要十分条件を答えなければならないかのような気がしてくるんだけども、それはおそらく自分のうちにひそむ perfectionism 完璧主義のささやきのせいで、ここでは互いの「健全」という表現の使用にたいするある程度の一致がとれればそこまででいい。一から堅牢に議論を組み立てていきたい誘惑には駆られやすいが、ひととやりとりするときにはそれはがまんすべきだろう。
そこで「定義は?」と訊かれたときどう答えればいいのかという話だが、ひとまずは、健全な行為の具体的事例を挙げる、ということになるだろう。あるいは不健全なものの例を出すのも理解の促進にはいい。深夜 1 時や 2 時まで起きて動画とか見てるのは不健全だし、中学生がタバコ吸ってるのも不健全。外食ばかりしてるのも不健全じゃないですか。それは人によるかな。で、なにが健全でなにがそうでないのかのおおまかな一致をとる。そこで出てきた例に共通する要素を引き出して抽象的規定を提示できると便利だが、これは必ずしも言語化されなくても話は進められる。
まとめると、議論において定義の目的とは、参加者のあいだで言葉の使用にかんするある程度の合意を得ることにある、そのことを念頭に置いたらいい、ということでした。