日記

何時に起きたか忘れた、が、ツイッターの発言を見ると十時半すぎ起床、ということになる。
福祉国家がうまくいっているか調べるには、保護されるべき人の満足度を見ればよい。言い換えれば、保護されるべき人たちは、福祉国家の到達度をみるのに役立つ。それゆえ、保護されるべき人には価値がある――みたいな推論にはどこか欺瞞があるに違いないのだが、どこがおかしいのかはっきり指摘できない。似たようなのだと、「温度が存在しなければ温度計は機能しえない。言い換えれば、温度計が機能するために温度は役に立つ。それゆえ、温度には価値がある」というのも考えた。先のものよりも奇妙な結論を出しているが、読んでくるとなんとなくそれらには「価値がある」ような気もしてくる。そしてそこがポイントなのだろうかと当てをつけている。次の記事:2012-02-06は、僕は十分に理解できていないが、そこで語られていることは、これと似たような匂いがする。
で、こういうことを言ってなにかというと「その日の起床時刻を特定できるのだから、 Twitter には価値がある」とここで結論することはどうなのか?と(いや、同種の話ではないのですが)。この場合はそこまで難しい話ではなくて、価値があるはあるけど、だからといって Twitter を全面肯定する根拠にはならないね、という評価になる。そういえば上の段落で出した例にも当てはまるけど、「価値がある」というのがしばしば全面肯定に聞こえるということは気をつけなきゃいけない点だ。ただ、温度計の例だとそれとは別の問題として、なんか価値の創出みたいなことが起きてて(温度を計るために温度計ができたのが、温度計のおかげで温度に価値があることになっている)、それをどうほぐしたらいいのかはまだわからない。
午後は買い物に行った。海へ行くつもりだったが寝坊したので買い物。石鹸*1、ハンドクリーム、カメラブロアー。あと音叉を買おうとしたが見つからなかった。それから少しだけ本屋にいて、いくつかメモ。『科学的思考のレッスン』、『意識は実在しない』。軽めの本をざくざく読んでいけたらいいな。それから、『数学を哲学する』。あと、微積を勉強する機運が高まっている;小平『解析入門』をぱらぱら見て、なかなかよさそうだった。そのあとツタヤで CD を借りて帰る。
読み了えた:『現代詩の鑑賞 101 』、新書館、1998。
現代詩の鑑賞101 新装版 (ハンドブック・シリーズ)
とてもいい本だと思う。現代詩って自分から読もうとしないと読まないし読んでもよくわからないので、読める人の読み方(の一例)から学ぶことができるこうした本は貴重だ。さいわいわけのわかる「鑑賞」になっていて、いや解説が比喩を駆使して悪いのかといえば、でもそう語るしかない部分は確実にあるのだろうと思う。表現がいくら文学的だといっても、同時に表現に対して真摯であることもわかる。はい。「現代詩手帖」に載ってる文章よりはだいぶとっつきやすいです。

*1:関係ないがこの鹸という字は異体字扱いである(『漢辞海』第三版)。親字は右側が「驗」(験の旧字)と同じで、つまりいわば旧字となるべきものが親字となっている。これは「鹸」が常用漢字に入っておらず、旧字がアップデートされないままになっている、ということだろう。ちなみに親字のほうが環境依存文字。醤油の醤なんかも同じ状況になってますね