仮説

あるものごと A に取り組むことを考える。
ものごとに取り組むという行為は、取り組む対象に没入している時間と、その没入した状態に入るための助走の時間とに分けられる。
助走のあいだは、 A 以外のこと、たとえば休憩と称して携帯いじったり他の本読みだしたりギター弾いたりしてはならない。これが破られると助走にならない。
ものごとに没入した状態になるために要する時間をかりに 10 分とする。つまり、それを 10 分以上続けない限り、それに没入した状態に入れない。
没入に入ったあとも、 A 以外のことに手を移してはならない。
この没入状態が保てているあいだが、ようやく「取り組んでいる」という事実として心の中でカウントされる。すなわち、取り組みはじめの 10 分は、取り組んだという事実からは切り捨てられる。


ものごと P に手をつけて、 10 分以内に別のこと Q に移って、また 10 分経たないうちに R をはじめ、……ということを繰り返すと、結局なにかをしたという記憶の事実が一切残らないので、なんもしてない気がして鬱になる。