仮説2

目に見える結果(二時間勉強した!とか)を出すのも大事だが、記憶に残す(勉強した気になる)のも大事。でもやっぱり、取り組んだのが一体何か、ということが一番大事だろう。
何をして過ごすと寝る前いい気分になれるかというと、 (1) やるべきこと、 (2) やりたいこと、の二つであろう。さらに、 (1) (2) いずれに関しても、心から素直に「やるべき」「やりたい」と思えるようなものがよい。逆に、感覚的には遠いけれど理屈で納得して「やるべき」と思えるようなものは、その納得が深いものでなければ、有意義感にはつながらない。「のちのち役立つだろうからなんとなく TOEIC の勉強をする」みたいな、おおざっぱな・ぼやけた必要性では、寝る前に「俺なにしてたんだろ」という反省が波寄せてくるにちがいない。
それから、突発的にやりたくなったことを無秩序にやり散らかすスタイルも、夜の絶望感のもとである。それは「前に進んでる」感じが気分に大きく影響するからである。頭の中にはある程度のビッグピクチャーがあって、そのパズルにうまくはまるようなピースを運んでいかなきゃいけない。俺だったら卒論のテーマになりそうな本を探して読むとか。今は夏目漱石の小説を読んでもあまり意味がない。ようは「する理由のあることをしろ」ということなのか。ギターを弾くのは気持ちいいが、ミュージシャンになろうとしているわけではないので、あんまりだらだら続けると「こんなことしてる場合じゃなかった」という気がしてくる。